レポート

タイトル一覧 
タイトル 掲載年月 備 考
ヨーロッパとしてのロシア ― ロシアビジネス考察 2011年
4月
日露ビジネスジャーナル掲載
ロシア極東開発について 2011年
3月
日露ビジネスジャーナル掲載
北海道とサンクトペテルブルグ 2010年
9月
 
ロシア極東と北海道との貿易研究 2010年
2月
 
北海道とロシアを考える 2010年
1月
NPO法人ロシア極東研掲載

委託事業報告書 
タイトル 掲載年月 備 考
ロシア極東地域課題解決型ビジネス参入促進産学官金連携事業 2015年
3月
北海道庁ホームページ
     


 

ヨーロッパとしてのロシア ― ロシアビジネス考察 2011年4月
 
ロシアとのビジネスと聞いていまだにこんなキーワードをイメージする人はいないだろうか。

「中古車・古タイヤ輸出、安い物価、日本への出稼ぎ……」 

 え?違うの?などという人がロシアビジネスに参入しようとしているのならば、まずはツアーでもよいのでロシアに行き、ロシアを見て、ターゲットを知ることから始めてほしい。ロシアは顕著に変わっている。それに気づき、それに合ったビジネスを展開していく必要がある。日本からロシアへの輸出品目は、自動車およびその部品が未だにそのトップを占めている。しかし、周知のとおり、絶対量は確実に減少している。その理由は2つあると考えている。
 
 ロシアの自動車輸入関税が大幅に上がったからである。これにより買い控えが進み、ロシア人からは日本からの右ハンドルの中古車は遠いものとなってしまった。今まで100万円で買えたものが、税金のおかげで180万円になってしまっていては、購買意欲が減退するのは当然である。ロシア極東地域でも中古車よりも新車を求める人が増えたからである。今ではモスクワやヨーロッパから日本車の新車を購入するというケースも珍しくない。つまり、「正規の左ハンドル車」が入ってきているのである。たしかに中古車市場は根強く残るものの(小樽港の対ロシア向け自動車輸出量は平成20年35万8500トン、21年4万5930トン、22年7万2760トン)、新しいマーケットセグメントが出現しているのは確実である。
 この変化は車だけに言えることではない。日本の住宅メーカーが昨今ロシア進出していることに関しても、それは従来の生活スタイル、すなわちかつて国から割り当てられたアパートを賃貸・売買してそこに住むのでなく、より質の良い新築住宅を持ち、自らの城とするという動きにも表れている。

 著者はかつて東南アジアに居住したことがある。そのせいで、発展途上のそれら国々と、同じく経済発展著しいロシアを何かにつけて比べる癖がついてしまっている。ちなみにいえば自分がいたのはベトナムなので、どちらも(ロシアはかつて)共産国であるということも興味深い。

 東南アジアの国々も急速に物質的に豊かになってきている。しかしそこには安い物価をベースにある程度の安定した物価構成がすでにあり、大きく変わることはなさそうである。また、そこにはコピー商品など「安かろう悪かろう」の商品も多く存在し続けている。
 他方、ロシアはそれとは異なる路線を進んでいると感じる。経済状況が許さなかったときは中古であっても安い物を好んで選択したが、それが許すにつれて、値段よりも質を優先するようになっている。
 ここで感じるのは、ロシアはやはりヨーロッパである、ということである。かつては恩恵を受け好んでいた「安価商品」を今の自分には釣り合わないものとし、「よいもの」を選ぶ。この流れは至極当然のことではあるが、もはや「お下がり」や「安かろう、悪かろう」商品に対して敬意をもっていた彼らはいない。そこにはヨーロッパ的な「先進国文化」のベースがあるからそ、経済的条件を克服しつつある今、それが実現されているといえよう。
 
 とはいえ、ここ数年の景気停滞の影響を受けていることも事実であり、景気が悪くなるとロシア製製品が売れる、というデータもある。ロシアは、一進一退を繰り返しながら、しかし確実に日本や欧米と同じベースの精神でマーケットを形成していくであろう。
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ロシア極東開発について 2011年3月

経 緯
 極東地域開発計画はエリツィン政権下の1990年代半ばに策定されたものだが、当時は大統領選挙再選に向けたパフォーマンス的な意味合いが強く、財政及び制度上の根拠に欠けていた。事実、連邦政府による執行率は10%にも満たなかった。また、プーチン大統領(当時)は2002年、そのプログラムに大きな修正を加え極東地域開発に着手したが、実際に同開発が本格化したのは原油価格の高騰によって国家財政が安定してきた2000年代半ばからと言える。


アジア太平洋地域経済に統合?
 プーチン首相は2009年12月28日に極東地域を訪問した際、「2025年までの極東・ザバイカル地域の発展戦略」(※2009年12月承認)について言及している。同首相は「プログラムの最終目標は、極東における安定した経済と生活のための快適な環境作りを保証することにある」と述べた。

「2025年までの極東・ザバイカル地域の発展戦略」は、下記のとおり3段階に分けてられている。

●第1段階(2009〜2015年)
省エネ技術の導入に加え新たな投資プロジェクトを始動し、住民の雇用レベルを改
善させる。

●第2段第(2020年まで)
エネルギー産業及び輸送部門の大規模プロジェクトを実施し、高品質製品の輸出を
増加させる。

●第3段階(2025年まで)
アジア太平洋地域経済への統合を目指すほか、エネルギー及び輸送分野に技術革
新をもたらす。

 当時、極東・ザバイカル地域では最低生活費を下回る収入しか得られていない住民の割合は24.5%に達していた。同戦略の策定に参加した地域発展省関係者によると、この割合を9.6%まで減少させるとしている。

 ちなみにザバイカルとは、(モスクワから見て)「バイカル湖の向こう側」を意味する。中国の西安市やモンゴルのウランバートル市の真北にあるバイカル湖の東岸のことを指し、東西に長いロシアの中ほどからやや東寄りに位置する。なお、同戦略における「極東・ザバイカル地域」とは、以下の12の連邦構成主体を指す。
 
●極東地域(極東連邦管区)
沿海地方、ハバロフスク地方、アムール地方、サハ共和国、サハリン州、マガダン州、カムチャツカ地方、ユダヤ自治州、チュコト自治管区
 
●バイカル地域(シベリア連邦管区)
イルクーツク州、ザバイカル地方、ブリヤート共和国


ウラジオでは建設ピーク
 2010年2月19日付「ウラジオストク」新聞によると、「極東・ザバイカル地域発展連邦特別プログラム」のサブプログラムである「アジア太平洋地域における国際協力の中心地としてのウラジオストク市の発展」の予算総額5530億ルーブルのうち、2100億ルーブル、つまり約半分が2010年中に消化される予定になっていた。つまり、2010年は建設労働者の仕事量と資金の消化という観点から見た場合、「ピークの年」となったということである。2009年は設計作業、鑑定通過、入札や請負先決定のために多くの力が注がれたが、2010年は建設作業の活発な段階に突入した。


目下の焦点=輸送とエネルギー
 極東・ザバイカル地域では現在「2013年までの極東・ザバイカル地域の社会・経済発展」連邦特別プログラム(※2007年11月承認)が実施されている。同プログラムの焦点となっているのは輸送及びエネルギーインフラの整備である。2007年の承認以降、APEC(2012年)の開催地であるウラジオストクへの予算をめぐってプログラムは修正され、同プログラムは現時点で5年間延長、2018年まで実施される見通しである。

サブプログラムに盛り込まれた新しい内容は
●造船所の建設
●ウラジオストク〜ウラジオストク空港間の高速鉄道の整備
●ダリザヴォード内のリクリエーション・ゾーンの設立
●サハリン〜ハバロフスク〜ウラジオストクのガスパイプラインの敷設
●高圧送電線・変電所網の建設
●空港の燃料供給施設の建設
●ルースキー島のエンジニアリングセンターの建設

 なお、「2013年までの極東・ザバイカル地域の社会・経済発展」連邦特別プログラムの該当地域は、先述した12の連邦構成主体のうち、イルクーツク州を除いた11の地域である。


今後40年の計画も
 イシャエフ極東連邦管区大統領全権代表は2010年、メドベージェフ大統領に対し2050年までの極東の発展戦略の策定を提案した。その戦略の核となるのは約5000億ルーブルが必要とされるバイカル・アムール鉄道の近代化である。イシャエフ氏は、「*2018年および**2025年までのマクロ地の発展展望はすでに明らかになっており、2050年までの発展の展望が見られたら非常に興味深いだろう」と述べるとともに、それは「大統領が2012年にウラジオストクで開催されるAPEC首脳会議に持参するために必要」としている。

*5年間延長される予定の「2013年までの極東とザバイカルの社会・経済発展」連邦特別プログラムが明確にしている。
**2009年12月に政府が採択した「極東とザバイカル地域の発展戦略」が明確化している。

 そして今年1月26日、ハバロフスクにて2025年までの極東及びザバイカル地域発展戦略の実現計画について討議された。プーチン首相は、経済発展と住環境改善による人口の定着とそこに住む人々の社会的経済レベルが中堅レベルに達することを目的としたこの計画に肯定的であり、今年3月中に政府により確定される模様である。
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北海道とサンクトペテルブルグ     2010年9月 (2016年12月加筆・訂正)
丹治 宏剛

サンクト・ペテルブルグは北海道企業にとって、大変魅力的なマーケットである

 北海道は目と鼻の先にサハリンがあることから、ロシアを身近なマーケットだと認識しています。これは新潟県やその日本海側の他県とも共通しますが、北海道ならではの特徴的なものであるといえます。(たとえば関東の企業はロシアを最も身近なマーケットと思う人は少ないでしょう)
 しかし、北海道でいうロシアとは、地理的に近いサハリン、ウラジオストクやハバロフスクなどロシア極東地域を指し、モスクワやサンクト・ペテルブルグといったヨーロッパロシアを最初に指すということは普通ありません。しかし、市場規模から言うと(概算)ユジノ・サハリンスク20万人、ウラジオストク、ハバロフスク各30万人=極東主要都市で80万にすぎず、合計でも札幌190万人の半分以下ということになります。一方で、モスクワは1,000万人、サンクト・ペテルブルグは500万人、とその市場規模は単純計算でも上記の18倍にあたります。


ではなぜモスクワではなくサンクト・ペテルブルグなのか

 モスクワは大都市で東京と同様、様々なビジネスが集中しています。国内からも海外からも誰でもモスクワを目指します。これは魅力的なことかもしれませんが、他方外国企業としては、入りにくいという側面を持っています。どこに何があるか分からない、会社が人が多すぎる、何から始めたらよいのか分からない。東京でビジネスを行うよりも名古屋や札幌などのほうがシンプルで分かりやすい、ということと似ているかもしれません。
 具体例をあげるとすれば、親身になって支援してくれるはずの日本センター(外務省)やJETRO(経済産業省)なども、あまりに多くの日本企業があるなかで、きちんとしたケアをすることは物理的に不可能です。日本からデレゲーションが行ったところで、特別に伝えていない限り、知られることもないまま出張も終わるでしょう。それに対しサンクト・ペテルブルグに進出している日本企業、また居住する日本人自体少ないため、日本企業の動きに関してそういった機関の目が届きやすく、情報も届きやすい。また、どこで何が起こっているのか、企業自身にとっても把握しやすい、ということが言えます。よって、ヨーロッパロシアへ進出するには、霧の多いモスクワからよりも、視界の良い、かつ十分なマーケット規模もあるサンクト・ペテルブルグから入っていくことのほうがより賢明であるということができます。


まずは極東から入るべきなのか

 とはいっても、北海道内の中小企業は、モスクワに出店した大企業ユニクロとは異なり、小規模のビジネスであっても「道内市場+α」の仕事ができればよい、という考え方もあります。そうであればマーケットは小さいがユジノ・サハリンスクやウラジオストクなど地理的に近いところで大きくないビジネスを実現できればそれでよいのかもしれません。ただし、そこには弱点として次の2点が挙げられることを認識していないといけません。

●極東地域のマーケットは人口が少ないだけでなく、富裕層も圧倒的に少ない。
●極東マーケットが頭打ちになったとき、ロシアの人口のほとんどが集中するヨーロッパロシアへ市場を広げていこうとしても現実的には上手くいっていない。(その理由は時差の存在や、ウラル山脈という「壁」が存在するとよく言われるようにあまりにも広い国土など)

つまり、東から西へという開拓は難しい。
また、ヨーロッパロシアに関しては次のような特徴が挙げられます。

●極東地域では雪国北海道は知られているが、ヨーロッパロシアでは北海道の知名度が低く、日本=東京というイメージが定着してしまっている。
●それはつまり東京は寒冷地ではないため、寒冷地用製品は日本(=東京)製はあまり適していないと認識されていることにつながる。(極東ロシアに対しても言えることだが、北海道の製品こそが寒冷地仕様であり、ロシア市場にマッチするものである)
●同じく、西から極東へという開拓も現実的ではない。


サンクト・ペテルブルグ―北海道の意味

 日本海側他県は中古車ビジネスの発展系としてロシア極東との貿易が行われているため、ヨーロッパロシアへはまだ目が向いていません。北海道も対ロシアの中古車ビジネスが盛んでしたが、その時代が「終わった」今、地理的メリットがある極東ロシアのみならず、市場的メリットがあるヨーロッパロシアをも目指すことは、地理的メリットのある極東のみをターゲットとする他県に対して先手を打った市場参入となることを意味します。北海道も現状、「極東3地域+モスクワでの試験販売程度」です。しかしそれでは北海道は勝てません。上述の通り、極東はメリット小しかも小さいパイの奪い合い、モスクワはメリットの前にデメリットもまた大なのです。


すなわち狙うは「西攻め>東攻め」

 各社の規模、製品の種類、価格などによって戦略は様々になりますが、上記のことを考慮すると北海道企業に対する一つの結論として、次のことが言えると思います。

●最優先課題
市場的メリットを求め、サンクト・ぺテルブルグ進出をモスクワ進出へのステップとせよ。

●第二に重きを置くべきこと
地理的メリットを生かし、ユジノ・サハリンスクあるいはウラジオストクへ、時間的にクイックな進出をせよ。
 
 現在、極東ロシアはセールスアピール旺盛な日本海側他県を日本への窓口とし、ヨーロッパロシアは東京(、大阪)を日本への窓口としてしまっています。北海道は東にもより良く知られる必要がありますが、西にもゼロからのアピールを始める時です。北海道とサンクト・ペテルブルグという一見結びつきがないように思われるラインは、その市場メリット、これからモスクワを目指して来るであろう対他府県に対する差別化という意味において洗練された、また実利のあるものとなり得るでしょう。
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ロシア極東と北海道との貿易研究2010年

下記のPDFファイルをご覧ください。
http://fec-jpn.com/hoppokencenterarticle.pdf
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北海道とロシアを考える2010年1月

ロシアに近い北海道
 2008年夏、筆者はロシアとの仕事をすべく、家族を引き連れてロシア船が出入りする北海道・小樽に移住して来た。前の居住地がベトナム・ホーチミンであったことから、環境も気候も全く異なる新天地である。ロシア人である妻は北海道の自然、雪、白樺、生えている草の種類などがベトナムはもちろんのこと、それ以前に暮らした東京や横浜の都市に比べ、ずっと故郷に近いと喜び、この北の地の環境はしっくりきているようだった。
 
 なぜ北海道に来たのか、と聞かれることは、意外なことに予想よりずっと少ない。さすが開拓の大地、思った以上に「人種のるつぼ」であるからだろうか。しかし聞かれたときにはいつもこのように答えている。

「もともとロシア語を専門としてその仕事に携わってきたが、一時的にそれから離れた仕事を海外で行ってきた。帰国と同時に独立を決め、再びロシアとの仕事を自分でやりたいと考えた。海外勤務をしていた時には、日本には『マイホーム』なるものはなかったので、必ずしも離日前に居住していた場所に戻る必要はなく、帰国後の居住地がどこであっても、自分にとっては同じことだった。ロシアやその他の海外生活を経て、いろいろな意味での生活環境の重要さを考えさせられた年月を過ごしてきた。沖縄と北海道が好きで、家族でよく行った。帰国半年前に行った冬の北海道旅行が家族全員に強烈な印象を残した。沖縄も大好きで何度も『移住先探し』と称して旅行に出かけたが、ロシアと仕事をするならやっぱり沖縄ではなく北海道。」と半分はこじつけなのである。


「東京のロシア」と「北海道のロシア」の違い
 東京で「ロシアとの仕事」というと、業種にもよるが、主にヨーロッパロシア(モスクワやサンクト・ペテルブルグなど)がビジネスの対象、というのがそのマーケットの大きさからも一般的である。しかし北海道や新潟、その他日本海側地域にとっての「ロシア」として、モスクワやサンクト・ペテルブルグが真っ先に出てくることはほとんどない。
 ロシアと言えば、まずはユジノ・サハリンスク、ウラジオストク、ハバロフスク、そしてイルクーツクなどロシア極東、沿海州の都市を指すであろう。これらの都市は、経済の中心となっているヨーロッパロシアから見ればはるか遠く、中央よりも中国や日本といったアジアに関心がいっている地方都市である。この4都市、人口はそれぞれ17万、58万、58万、60万で、合計がちょうど札幌ほどである。合計1,500万人の前述の2都市とはその規模はもちろんのこと、マーケットの状況も全く異なる。
 地理的に目と鼻の先にあるという現実は、その親密度、話題性、ビジネスにおける注目の必然性はずっと高く、普通の会話の中でさえロシアの話題が出てくる。東京では考えられないことだ。そういうことを経験する度に「北海道にきて正しかった」と実感する。


道内企業のロシア進出
 北海道庁のロシア課や、経済産業省の地方部局である北海道経済産業局、また小樽市や稚内市などそれぞれの地方自治体の支援のもと、道内企業はロシアにも積極的なアプローチをしており、筆者も両国のビジネスマッチングや信用調査、契約書などロシアの法務的なサービスを提供している。北海道企業にとっては中国やロシアは目の前に広がる「具体的な」マーケットなのだ。まさにこれこそが、東京から見た場合のものとは随分異なる点であろう。さらには、道内企業は国内、特に道内のマーケットが冷え切っていることもあり、最も近い海外市場であるロシアへの開拓というテーマは避けて通れないものとなっている。実際にロシア進出を成功させている道内企業も多くあるし、今後、ロシアへの進出は中国やベトナム、カンボジアなどへのような一見「進出ブーム」に見えるようなものではなく、静かであっても必然的な流れになっていくであろう。人的交流、経済交流が進み、逆にロシアから日本、という流れも同時に刺激されていくことだろう。
 
 ただ、筆者の目には、ソ連崩壊直後のフィンランドと地理的に近いサンクト・ペテルブルグのように小売の分野、つまり「普通の人の日常生活レベルでの経済活動」が劇的には活発化していないように映る。日本からの輸出で最も大きいシェアを占めている自動車も、2008年からの関税大幅引き上げにより今までにないほどの落ち込みぶりとなっており、回復の見込みはない。一方でロシアの資源開発、インフラ整備において日本の技術は不可欠であり、「北方型住宅」など特に気候が似ている北海道にとっては大きなチャンスでもある。サハリン2からのLNG(液化天然ガス)の輸入も始まったが、これは同時にサハリンと東京との直接のパイプが確立されたということでもある。道内の官民ともに積極的にロシアへの「セールス活動」を今まで以上に継続して行っていく必要がある。
 日ロビジネスで決定的に不利な点は、両国の間に平和条約がなく、ビザ手続きが複雑で不便なことである。このハンディを除去し、軽快なフットワークで国際競争を勝ち抜いていかなければならない。日本はロシアマーケットを取りに行くか行かないか、の選択ではなく、中国や韓国などに取られるか、というところにまで追い込まれつつある。


名付けて「環日本海経済区」
 筆者は1996年から2000年まで断続的にモスクワとサンクト・ペテルブルグに滞在してきたが、「バルト海を挟む経済・人的交流」というものに大変興味を持ってきた。バルト海を挟む都市とは、サンクト・ペテルブルグ(ロシア)、ヘルシンキ(フィンランド)、ストックホルム(スウェーデン)、タリン(エストニア)などのことである。各都市をジェットフェリーや夜行の豪華客船が定期的に結び、週末などに気軽に訪れることができる。フィンランドとエストニアを除き、民族や言語は全く異なるのだが、それぞれの港湾都市への観光業、小売業への貢献は大きい。例えば第三国からフィンランドへの観光客も、同じ国の中のような感覚でエストニアを訪れることもできる。これら都市は地理的に近いということもあるが、お互いのマーケットを狙った戦略が功を奏していると言えるし、今後もその「距離」はますます感じられなくなっていくのであろう。グローバルなマーケットとしては理想的であると筆者には感じられる。
 
 日本でこのイメージに近いのが、福岡と韓国の釜山だ。ジェットフェリーで週末気軽に韓国人が福岡を訪れ、観光、ショッピングをしていき、その逆も同様である。中国と福岡というバージョンも仲間入りしている。他のどの都市で同様の関係が考えられるかというと、距離的にやや不利ではあるが、新潟とウラジオストク、稚内や小樽とサハリンなのである。実際、現在も航路はあるが、ロシア人が日本に買い物に訪れるという動きはあるものの日本人が週末にロシアを観光で訪れる、といった関係にはなっておらず、一方通行となっている。足りないのは、そして今後伸ばしていけるのはロシアの第三次産業、サービス業ではないだろうか。
 
 日本人の口に合うロシアの食を目的としたり、その雄大な自然を舞台とするエコツーリズムなどの観光産業が、日本とロシア双方によりプロフェショナルにアレンジ、アピールされれば、その地は大変魅力的なディスティネーションとなるはずである。同様に日本も、既存の一般的な商品や食品だけを売りにするのではなく、レジャー産業や観光産業において、ロシアを後回しにせず、その市場を開拓していかなくてはならない。
 特に北海道では韓国・香港・台湾など東アジアからの観光客が急増してきた流れの中で、ロシア人観光客がほとんどみられないというのは不自然でさえある。筆者の住む小樽の街でロシア人を見かけるとしたら、港や生活品店であり観光地でではない。ロシアの中堅層が、その物価の安さや温暖な気候を魅力とし、日本を飛び越えて東南アジアに旅行に出てしまっているというトレンドも、なんとも歯がゆいことである。マレーシアやインドネシアのバリ島は、ロシア人もビザがなくても旅行できるという点でも、大きなメリットとなっているのだ。日本の良さをロシアの人、特に日本から近い地域の人たちはよく知っている。そのいわばあこがれ的な日本のイメージを生かした旅行商品作りや企画は、道や自治体、道内旅行会社を中心に今後もさらに積極的に進めていくべきであろう。
 
 息子は生まれてから3度、住む国を変えている。しかし今では普通に北海道弁をマスターし、「手袋をはいて」「雪投げ」生活を楽しんでいる。まだ園児のくせにスキーも「なまら(とても)」上達した。腰を据えると心に決めたこの地のすぐ北には、妻の国ロシアがある。文化、ひと、経済、政治、今後の北海道とロシアの関係のさらなる親密化を願ってやまない。
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